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高知地方裁判所 昭和51年(ワ)301号 判決

原告

大野泉

右訴訟代理人

浜田耕一

被告

下司孝麿

右訴訟代理人

金子悟

主文

一  被告は、原告に対し、金三九〇万円及びうち金三五〇万円に対する昭和五一年八月一五日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一三〇〇万円及びうち金一二〇〇万円に対する昭和五一年八月一五日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  診療契約の締結

原告は、昭和四九年一〇月一七日からパーキンソン症候群の治療のため被告の経営する下司病院(以下「被告病院」という。)に入院していたが、右入院中の昭和五〇年四月一六日午前二時三〇分ころ、被告病院の便所でスリッパを履き替えていた際に足をすべらせて転倒し、右大腿骨頸部を骨折し(以下「本件骨折」という。)同部に激しい痛みを覚えた。

そして原告は、同日、被告に対し、右大腿部の痛みについて診察を求め、前記パーキンソン症候群の治療とともにこれに対する適切な治療行為をすることを依頼し、被告はこれを承諾した。〈以下、省略〉

理由

一請求原因1の事実については当事者間に争いがない。

二原告が身体障害者等級一級の認定を受けるに至つた経緯について

1  当事者間に争いのない事実

原告が、昭和五〇年四月一六日、被告病院の便所内で転倒し、右大腿部に痛みが生じたこと、被告が、原告から右事情を訴えられ、同日、右大腿部の骨折の有無を確認するためレントゲン撮影を行つたが、骨折の存在を発見できなかつたこと、その後も原告に夜間眠れないほどの痛みが続いたため、被告が、同月二三日、再度原告の右大腿部のレントゲン撮影を行つたこと、その際も被告は、骨折の存在を発見できなかつたこと、原告の右大腿部の痛みはその後も続き、原告は、精神に錯乱をきたすこともあつたこと、原告は、同年五月二九日、伊野部病院においてレントゲン撮影を受け、本件骨折の存在が判明し、同日、同病院に転医したこと、その後、原告は、同病院において本件骨折に対する治療を受けることになり、右大腿部の牽引が行われたが、その効果がなかつたこと、原告は、右足が六センチメートル短縮し、両上下肢機能を全廃して歩行不能となり、身体障害者等級一級の認定を受けたこと、原告は、本件骨折まで身体障害者としての認定は受けておらず、多少歩行に不自由はあつたものの、自力で病院内での日常生活を送り、それに支障のない程度の歩行は可能であつたことの各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

2  右当事者間に争いのない事実に、〈証拠〉並びに鑑定人井形高明の鑑定(以下「井形鑑定」という。)、鑑定人楢林博太郎、同山内裕雄の共同鑑定(以下「共同鑑定」という。)を総合すれば、次の事実を認めることができ〈る。〉

(一)  原告は、昭和四七年六月、パーキンソン症候群等の病名で被告病院に入院したが、その後同病院を退院して自宅で療養していた。そして昭和四八年一〇月ころ高知県立中央病院や高知市民病院で診察を受けたところ、いずれもパーキンソン症候群に罹患しているものの、入院の必要はないとの診断を受けた。

そして、原告は、昭和四九年一〇月一七日、再度被告病院に入院してパーキンソン症候群の治療を受けることとなつたが、そのころには手足のふるえや握力の低下などの症状が認められた。しかしながら、原告は、多少不自由はあつたものの、一人で歩行することは可能であり、また、同病院内で食事をしたり、便所に行くなどの日常生活上の基本的動作も自力で可能な状態であつた。

(二)  原告は、昭和五〇年四月一六日午前二時三〇分ころ、被告病院の便所に行き、スリッパを履き替え中に足をすべらせて転倒し、右大腿骨頸部を骨折した。そして、その際右大腿部に激しい痛みを覚え、同日、被告に右転倒の事実及び右大腿部の激痛を訴えた。

被告は、原告の右大腿部の骨折の有無を確認するため同部のレントゲン撮影を行つた。右レントゲン写真には本件骨折の映像があつたが、被告は、右写真から骨折の映像を読みとることができず、原告の右大腿部にゼノール湿布などの治療を実施したに止まつた。

(三)  その後も原告の右大腿部の痛みは続き、また、同部に、腫れも生じていたので、被告は、鎮痛剤や消炎酵素剤の投与等を行つたが、右痛みは増強した。そして、原告は、同月二三日には左大腿部についても痛みを訴えるようになつた。

被告は、同日、再度レントゲン撮影を実施したが、その写真は不鮮明で、しかも撮影方向が不適当であつたため、骨折の有無は全く判別できなかつた。

その後、原告は、激しい痛みが続いたため、同月二八日ころから意味不明の言葉を発することがあり、また同年五月二日からは時々失見当識が現れるようになつた。そして、右大腿部の痛みはやや減少しながらもなお継続していた。

(四)  原告は、同年五月二九日、伊野部病院においてレントゲン撮影を受けた結果、本件骨折の存在が判明し、同日から同病院に入院し、本件骨折について治療を受けることとなつた。

同病院では、原告の年齢や原告がパーキンソン症候群に罹患していることなどから本件骨折に対する治療方法としては人工骨頭置換手術を実施するのが最適であると診断してこれを実施することにし、レントゲン写真によると本件骨折部位の骨と骨がずれて重なり合つていたので、まず骨と骨とを骨折前の位置に引き戻すため、同日から原告の右足に鋼線牽引を開始した。しかし、パーキンソン症候群の筋肉の強剛及び原告が一過性老耄によつて牽引の意味を理解せず、これに協力しないため、同年六月一一日、右牽引を一旦中断した。そして、右老耄状態がかなり治癒した同年一一月二九日から同年一二月二六日まで、再度原告の右足に鋼線牽引を実施したが、筋肉の強剛のためその効果はなかつた。

(五)  そして、原告は、右足が六センチメートル短縮し、かつ、パーキンソン氏病、右大腿骨頸部骨折による両上下肢機能障害により身体障害者等級一級の認定を受けるに至つた。

三債務不履行

前記のように請求原因1の事実は当事者間に争いがないのであるから、原告と被告との間には、原告の右大腿部の痛みの治療を目的とする診療契約が成立し、これにより、被告は、原告に対し、右痛みの原因を医学的に解明したうえ、現代医学の水準に照らし十分かつ適切な治療措置を施すべき義務を負担するに至つたものということができる。そして、右痛みの原因を医学的に解明するに当たつては、自己の専門外の診察、治療を必要とするものについてはその専門医に転医をさせ、又は専門医に往診を求めるなどの措置をとらなければならないことはいうまでもない。

1  請求原因3の(一)について

被告は、原告から便所内での転倒の事実及び右大腿部の激痛を訴えられ、その診察、治療に当たり、二度にわたつて同部のレントゲン撮影を実施したが、いずれも本件骨折を発見できなかつたことは前記のとおりである。

しかしながら、証人山内裕雄の証言によれば、そもそも股関節付近の大腿骨頸部骨折のうち骨折部分の骨と骨とがずれていない骨折は整形外科医でないとその発見がかなり困難であるうえ、本件骨折部分は、骨と骨が接着し、ほとんどずれを生じていない状態にあつたことが認められるので、右事実に被告が内科、神経科を専門とする医師であること(この事実は当事者間に争いがない。)を併せ考えると、被告が原告の本件骨折を発見できなかつたことをもつて直ちに被告に診療契約上の義務の不履行があつたとは認め難い。

2  同3の(二)及び(三)について

〈証拠〉によれば、原告は、昭和五〇年四月一六日、被告病院の便所内で転倒するまで、時々両膝の痛みを訴えることはあつたものの、右大腿部及びその周辺の痛みを訴えることはなかつたことが認められる。

そして、原告が右転倒により右大腿部に痛みを覚え、その痛みは日を追つて激痛にかわり、しかも、これが継続し、原告がその痛みに耐えかねている状況にあつたこと、被告が原告から右転倒の事実及び右大腿部の激痛を終始訴えられていたことは前記のとおりである。

更に、〈証拠〉及び井形鑑定、共同鑑定を総合すれば、パーキンソン症候群は、安静臥床生活が続くことにより進行が早まり、筋肉の強剛も強化される病気であつて、この患者が骨折すると、骨折直後であれば手術が可能であつた場合であつても、日時の経過により段々と手術が困難になるものであること、従つて、右の患者が骨折したときは骨折の早期発見早期治療が必要であること、被告病院で昭和五〇年四月一六日撮影した原告のレントゲン写真を経験ある整形外科医に示せば本件骨折は容易に発見できるものであることが認められる。

前記事実を総合すれば、原告の右大腿部の痛みの診療にあたつていた内科、神経科を専門とする医師である被告としては、早急に右痛みの原因を医学的に解明すべきであり、当然骨折の疑いを持ち(被告本人尋問結果によると、被告は終始骨折の疑いを持つていたことが明らかである。)、自己の専門外の整形外科の立場からこれを解明すべきであり、そのためには原告を整形外科の専門医に転医させるとか、その専門医の往診を求めて診断を求めるべきであり、仮に右のことができないとすれば被告病院で昭和五〇年四月一六日撮影したレントゲン写真を右専門医に示してその診断を求めるなどの適切な措置をとるべき診療契約上の義務があることは明らかである。そして、被告病院が高知市の中央部にあることは当事者間に争いがないから、地理的に整形外科の専門医に診断等を求めるのに不便があつたものとは考えられない。

しかるに、被告は、昭和五〇年四月一六日、レントゲン撮影を実施したものの、これにより本件骨折を発見できず、痛みに対してゼノール湿布などの治療をしたに止まり、原告に整形外科の専門医の診察を受けさせることもなく、また右レントゲン写真を整形外科の専門医に示して診断を求めることもしていないのであるから、被告に診療契約上の債務の本旨に従わない不完全履行(債務不履行)があるといわざるを得ない。

被告は、①原告が本件転倒までに下肢の痛みを訴えていたこと、②原告の訴えた転倒後の痛みは骨折により通常生じる痛みの程度をはるかに超えた激痛であつたこと、③その激痛は右大腿部に止らず、左大腿部から全身に及ぶ異常なものであつたこと、④原告が骨折したのと同じころ、被告病院に入院中の原告と同年齢の女性が、何らの外傷を受けていないのに原告と同じ症状を呈していたこと、⑤被告が高知市内の二、三の整形外科医に電話で原告の右症状を正確に告げたうえ、その判断を求めたが、それに対する回答はいずれも骨折には関係ないとのことであつたから、原告の訴える激痛が外科的治療を要する骨折に基因するものとの十分な疑いを持つことは不可能であつたと主張し、被告人の供述中にはおおむねこれに副う部分がある。

しかしながら、仮に右①ないし⑤の事実があつたとしても、前記認定の各事実に照らせば、痛みの原因が骨折によるものではないかとの疑いを否定することはできず、前記のように被告は原告から右大腿部の痛みを訴えられてから終始骨折の疑いを持つていたことが明らかである。そして、〈証拠〉によれば、骨折によつて生じる痛みは各人各様であるうえ、殊にパーキンソン症候群に罹患した患者が骨折した場合、筋肉の強剛のため、普通の人の骨折に較べて強い痛みが生じるものであることが認められるから、原告の訴える激痛をもつて「骨折により通常生じる痛みをはるかに超えた異常な激痛」としてこれを異常視することはできないし、医師としては、患者の訴える痛みが激しければ激しいほど早急かつ正確にその原因を医学的に究明しなければならないのである。右の諸点に鑑みると、原告が訴えた激痛が外科的治療を要する骨折に基因するものとの十分な疑いをもつことは不可能であつたとの被告本人の前記供述部分は直ちに採用できない。

また、被告は、転倒後の原告の症状につき、骨折以外のものと考えられたので、医師としては、顕著な症状である痛みについて先ず優先して治療をなすべきであると主張する。なるほど、痛みに対する治療も必要であるけれども、前記の痛みの生じた原因、その後の諸症状に鑑みれば、これの治療にあたる医師としては、当然骨折について疑いを持ち、早急に整形外科の立場から痛みの原因を解明すべきであつたことはさきに判断したとおりであつて、痛みについて優先的に治療すれば足りるというものではないことはいうまでもない。

更に、被告は、原告の当時の症状に照らせば、整形外科医に転医させることはもちろん、往診すら不可能な状態であつたと主張するが、前記認定のとおり、被告は、昭和五〇年四月二三日には原告にレントゲン撮影を実施しているのであるから、転医はともかく往診が不可能な状態であつたとは到底認められないうえ、前記認定のとおり経験のある整形外科医であれば昭和五〇年四月一六日に撮影したレントゲン写真により本件骨折を容易に発見しえたのであるから、被告の右主張も失当である。

四因果関係

1  請求原因4の(一)について

原告が、昭和五〇年四月一六日、被告病院内の便所で転倒し、その際右大腿骨頸部を骨折し、以後伊野部病院に転医した同年五月二九日ころまでの間、右大腿部に激しい痛みを覚えていたことは前記認定のとおりである。

そして、〈証拠〉によれば、本件のような骨折があつた場合、それを放置すれば、折れた骨と骨がずれて重なり合い、これが擦れて強い痛みが生じるが、牽引療法などを施して骨折した骨と骨とがずれたり重なり合つたりしないようにしておけば、その痛みを軽減することが可能であることが認められる。

従つて、被告が本件骨折後早期に原告に整形外科の専門医の診察、治療等を受けさせていれば、本件骨折は容易に判明していたし、これが判明すれば牽引療法などにより、その後の痛みは軽減されていたものと認められるので、被告が原告に整形外科の専門医の診察、治療を受けさせる等の前記義務を怠つた右債務不履行と原告が本件骨折から伊野部病院に転医するまでの間に生じた激痛によつて被つた必要以上の苦痛(前記の措置をとつておれば生じなかつた苦痛)との間には相当因果関係があると認められる。

2  同4の(二)について

前記認定のとおり、原告は、本件骨折後右足が六センチメートル短縮し、かつ、両上下肢機能を全廃して歩行不能となり、身体障害者等級一級の認定を受けるに至つたものであるが、これが被告の前記債務不履行に基づくものであるか否か、換言すれば、右債務不履行がなければ、整形外科の専門医によつて早期に本件骨折に対し手術が行われ、右障害の発生を防止しえたか否かの点について検討する。

〈証拠〉及び井形鑑定、共同鑑定によれば、パーキンソン症候群に罹患した患者が骨折した場合、その骨折に対して手術を行うか否かは①患者の年齢、②パーキンソン症候群の進行度、③筋肉の強剛状態、④骨折した部位及びその状況、⑤骨折手術及びその後のリハビリテーションに対する患者の理解力、⑥それまでに患者がパーキンソン症候群の治療のために使用した薬のなかに麻酔に対して副作用を生じさせるものがあるかなどの諸点を総合考慮して決定されるものであることが認められるので、以下右諸点について順次検討する。

(一)  〈証拠〉によれば、原告は、大正六年八月二〇日生であつて、本件骨折時には五七歳であつたことが認められる。

(二) 筋肉の強剛状態についてみると、なるほど前記認定のとおり、原告が伊野部病院に転医した時には牽引の効果がなく、その時点においては筋肉の強剛はかなり進行していたものと認められるが(もつとも、同病院で牽引の効果がなかつたのは、筋肉の強剛のためだけではなく、その時の原告の精神状態も影響していたものであるが、この点については後述する。)、これは、本件骨折後牽引などの適切な措置を受けられないまま、約一か月半の間臥床生活を続けた後の状態であり、前記三の2で認定したとおり、パーキンソン症候群は、安静臥床生活が続くことにより進行が早まり、筋肉の強剛も強化されるのであるから、右事実をもつて、本件骨折直後においても同様な筋肉の強剛があつたとは認められず、後述する原告のパーキンソン症候群の進行度に照らせば、本件骨折直後において、手術を不可能とするほどの筋肉の強剛があつたとは認められない。

(三)  パーキンソン症候群の進行度についてみると、前記認定のとおり、原告は、昭和四七年六月には既にパーキンソン症候群の診断を受け、本件骨折までに手足のふるえや握力の低下などの症状があつたものの、食事をしたり、便所に行くなどの基本的な日常生活は自力で可能であり、また、多少の不自由はあつたが、なお一人で歩行することが可能な状態であつた。そして、〈証拠〉によれば、本件骨折当時におけるパーキンソン症候群の進行程度は中等度であつたことが認められる。

(四)  〈証拠〉を総合すれば、本件骨折は、右大腿骨頸部骨頭下内側骨折であり、かかる骨折があつた場合、手術を行わなければほとんど折れた部分が自然に接着することはないこと、また、本件骨折直後には骨折した部分の骨と骨とにほとんどずれが生じていなかつたことが認められる。

(五)  原告の精神状態(手術及びその後のリハビリテーションに対する理解力)についてみると、原告が、昭和五〇年四月二八日ころから意味不明の言葉を発したり、同年五月二日には失見当識があらわれるようになり、伊野部病院で牽引が行われた際にも牽引の意味を理解せず、これに協力しなかつたことは前記のとおりであるが、本件骨折前はもとより、本件骨折後も骨折から約二週間を経過するまで原告の精神状態に格別異常があつたことを窺わせる証拠は全くない。そして、右異常状態は、原告が、本件骨折後約二週間もの間右大腿部の牽引などの適切な措置を受けられなかつたため、骨折当初は骨と骨とにずれがなかつたのが、日を追うごとに骨と骨とがずれて重なり合つて擦れることによつて激しい痛みが生じ、この激しい痛みが続いた後に現われたものであるから、本件骨折後早期に適切な措置がなされていた場合にも同様な異常があつたものとは認められない。

(六)  原告が、本件骨折までにパーキンソン症候群の治療のために使用していた薬のなかに、麻酔に対して副作用を生じさせるものがあつたと認められる証拠はない。

以上認定した事実によれば、本件の場合、前記①ないし⑥の各諸点に関して、手術を行うにつき障害となる事由は認められない。

そして、右認定した事実に〈証拠〉を総合すると、骨折後早期であれば、骨折部分の器質的変化も少なく(仮に検査などのために数日間を要したとしても、その場合には牽引などを施して骨折部分のずれを防ぎ、折れた骨をもとの位置に保つことが可能である。)、また、手術の方法としては人工骨頭置換手術を採用することにより壊死を防止することができるのみならず、同手術方法であれば、手術後一〇日から二週間位絶対安静の状態を強いられるが、その後は次第に身体を動かすことができ、少なくとも手術後一か月を過ぎれば歩行訓練が開始されることになるのであるから、前記認定のように臥床生活によりパーキンソン症候群の進行を多少早めることにはなるが、右の期間程度の臥床生活でパーキンソン症候群が極端に進行してしまうものではないことが認められる。

以上認定した事実を総合すると、被告が原告に本件骨折後早期に前記のような整形外科の専門医による診察、治療等を受けさせていれば、原告は、右足を六センチメートルも短縮させることもなく、また、両下肢機能を全廃することもなく、自力で歩行できる状態まで回復する可能性は十分あつたものと認められる。

もつとも、〈証拠〉によれば、被告が原告に本件骨折後早期に整形外科による診察、治療等を受けさせ、整形外科医によつて人工骨頭置換手術が実施されたとしても、医学的には、脱臼を生じるなどして同手術が失敗に帰することがあり得ることは否定できず、また、同手術が成功しても原告の歩行能力が回復しない場合があり得ることも否定できない。しかしながら、かかる事情をもつて、前記の原告の歩行能力が回復する可能性があることを否定することはできず、これらの事情は、後記のとおり、損害額を判断するに際し斟酌すれば足りるものである。

原告は、更に本件骨折後早期に専門医の診察、治療を受けられなかつたために死期を早めることになつたと主張するが、右主張を認めるに足りる証拠はない。

四損害

1  慰謝料

右認定のとおり、原告は、被告の債務不履行により必要以上の精神的、肉体的苦痛を被り、かつ、右足を六センチメートル短縮させ、両上下肢機能を全廃して歩行不能となり、身体障害者等級一級の認定を受けるに至つたものであり、このため精神的、肉体的苦痛を被つたものと認められる。

しかしながら、前述したように、整形外科医によつて人工骨頭置換手術が実施されたとしても、同手術が失敗し、あるいは手術が成功しても原告の歩行能力が回復しない場合もあり得ることは否定できないところであり、また、同手術により歩行能力が回復しても、前記認定のとおり、原告は、昭和四七年六月ころからパーキンソン症候群に罹患していたものであり、〈証拠〉によれば、パーキンソン症候群に罹患した患者は、服薬によりある程度その進行を押えることはできるが、遅い場合でも発病後一〇数年経過すれば歩けなくなる例が大部分であることが認められ、しかも、前記認定のとおり、骨折後早期に適切な治療を受けたとしても、一定期間は臥床生活を強いられることは避けられず、これによりパーキンソン症候群が進行することは否定できないので、近い将来自力による歩行ができなくなる可能性は高いといわなければならない。

従つて、原告が被告の前記債務不履行により被つた精神的、肉体的苦痛に対する慰謝料は金三五〇万円をもつて相当と判断する。

2  弁護士費用

原告が、本件原告訴訟代理人である弁護士に訴訟追行を委任したことは当事者間に争いがなく、当裁判所は、本件事案の難易、請求額、認容額その他諸般の事情を考慮のうえ、原告が被告に対し請求しうる弁護士費用は金四〇万円をもつて相当と認め、右は被告の債務不履行と相当因果関係に立つ損害というべきである。〈以下、省略〉

(山口茂一 古賀寛 大谷辰雄)

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